自分の演じ方
自分にとっては25回目の夏がやってきた。
暑いだけの夏、何かを期待する夏 そんな夏が
メープル超合金
玉木宏のお嫁さん
にゃんこ先生
ふたりの愛ランド
なつだ!夏だ!夏だ!夏だ!!!
夏ばかり連呼していてココナッツだが、とにかく暑いので夏である、と言いたい
夏って漢字見てたらゲシュタルト崩壊を起こした(今)
憂って字も夏に見える
春憂秋冬って書いても何も違和感がないくらいには似ている
ヒルクライムに是非歌って欲しいものだ
さて、いい具合に夏で憂で鬱なので頭のおかしいブログを書きたいと思う
鬱って字も書きにくい、木と木の間に缶が挟まっている感じがとてもクレイジーだ
下の部分に至っては何書いているかわからない
この字を書くのがめんどくさくて鬱になりそうだ。
さて、これ以上脱線すると本格的にこの記事自体を消したくなるので本題に入りたいと思う。
日々生きてきて自分は何者なんだろう?と考える
自分はデフォルトの性格を真面目にしているので、外にいる間はずっと真面目だ
真面目でいることに苦痛はまったく感じないし、とても楽だ
真面目にしているだけでOKですしお寿司
だけれども、最近このまま同じような真面目を演じ続けてて良いのか?と考えるようになった。
自分の性格は本当は真面目とは言えない
本当は適当なことを言い、意味のわからないボケを言いつづけたい
真面目な会話なんてつまらないし、退屈だ
中学、高校、大学
友達からは「内弁慶」と言われてきた
学校では「人見知りの私〜♪」を演じているくせに家の中だとうるさい
どうでもいいことを話してしまう、思いついたことをペラペラと言いたくなる
そして殴られる、嬉しい😋
仲良くなってハタかれるのは、何か仲良くなってる〜☝️感があってとても嬉しい
「もっと殴って!」と言うと「このドMがっ!」と言われるが
それはそれで、とてもいいものだ
でも今は...もうそんな事は言っていられない
昔の友達も社会人となり、今や社会の歯車であり潤滑油でありガソリンだ
「レギュラー満タンで〜!」
昔の自分は押し殺して「真面目」を演じなくてはならない
「真面目」を演じる事自体は楽だけど、そんな真面目を演じている自分はとてもつまらない人間だ。面白みがない。
だからと言って今から適当な人間になれるか?と考えると、絶対になれないだろうな、、、と思う、適当は適当で難しい。
適当は適当でも、ほどよい塩梅に調整しないと、いけないだろうしね
真面目に不真面目、そんなキツネ1匹とイノシシ2匹のような関係性に憧れを抱きつつ、今の思いの丈をぶちまける。...ん、まぁでもぶちまけられないけどね。
人に嫌われるのが怖いから、真面目を演じているのかもしれない
ふざけて変な事を言って嫌われたくないのかもしれない
最近、ゲイの文化に触れてきて、自分がまだまだ適応できてないことを思い知らされる
もっと演じられるようになりたい、ゲイとしての自分として
演じたいけど、演じきれない、ホゲられもしない
敬語で話す事もやめられないとまらない
「カルビ〜かっぱえびせん🍤」
ゲイであることを認めた以上、自分の中で受け入れた以上
もっと変われればいいのにな、変わりたい
デンジャラスのノッチも言っていた
「CHANGE!」と...
私も変わらないといけない、そんなお年頃だ
ノッチのように...
今回のまとめ
「今年の夏は変化を起こす!」
25回目の夏こそは!
平成最後の夏こそは!
後悔のない夏に!
ではまた